帰り道

(ぜってー許してやんねーんだから)
 高尾は、黙々と前を歩く背の高い後ろ姿にべっと舌を出した。緑間は長い足をさっさと動かして、どんどん先に歩いていく。離れて歩けよ、とは言ったが、言われるがままに後ろを振り返りもせず行ってしまうのは、それはそれで腹立たしい。高尾は足音も荒く、きっかり三歩半ほどあけて緑間の後ろを歩く。いっそ別々に帰りたい気分でもあったが、帰りつく場所は同じなので仕方がない。せめてもの腹いせに、長く伸びた緑間の影をえいえいと踏みつける。
 今日は久しぶりに二人で過ごす休日で、高尾は二週間も前から楽しみにしてがんばって仕事を片付けたのだ。朝はのんびりと起きだして一緒に朝食を食べ、昼前にぶらりと街に出て気になっていた映画を観て、ウインドーショッピングなんかもしたりして、帰りは一緒にスーパーに寄って、そうだ、緑間の好きな甘く炊いたボルシチでも作ってやろう。そして膨れたお腹をさすりながらソファで凭れあって過ごし、それからちょっといい雰囲気になったりもして。そんな風に思い描いていた楽しいはずの休日は、緑間の小さなわがままであっけなく崩れ去った。
 別に、大したわがままじゃない。緑間の、いつものちょっとした高尾への甘えが出ただけだ。高尾もそれは頭ではわかっていたのだが、期待で膨れすぎた気持ちにぷつんと小さな穴を開けられ、風船は勢いよく割れてしまった。それで、いつもみたいに上手くやり過ごすことができなくなってしまったのだ。
 スーパーに寄る気はとっくに失せて、家にある残り物の食材を頭に思い浮かべる。
(炒飯ぐらいならできっかな。つか、もういっそコンビニでもいいような)
 食べるはずだった温かくて美味しいボルシチを思うと、高尾は虚しくて泣きたい気持ちになった。喉に酸っぱいものが込み上げるのをぐっと飲み込む。ごまかそうと睨んだ緑間の背中は、逆光の中ぴんと伸びていて、こんな時でもやはり美しく、それがいっそう高尾を悲しくさせた。
(こんなつもりじゃなかったのにな)
 互いに忙しい身だ。次はいつ二人の休日が噛み合うかわからない。
(真ちゃんは、そんな楽しみじゃなかったのかな)
 高尾は唇を噛んだ。馬鹿みたいだ。一人で楽しみにして、一人で妄想を膨らまして、一人で機嫌損ねて、一人台無しな気分になっている。馬鹿みたいだ。いやそれでもやっぱり、俺を一人こんな気分にさせて「ごめん」の一言もない緑間、やっぱりお前が一番悪い。今日は寝室も別だ。別に俺がソファでいい。そんで体痛くなって風邪引いて熱出した俺を見て、おろおろ反省すりゃいいんだ。馬鹿野郎真ちゃん、俺がいないと何もできないくせに。偏屈、変人、変態むっつり眼鏡、緑頭。
 思いつく限りの悪口を精一杯頭に並べることに夢中になっていたら、いつの間にか歩調を緩めていた緑間の背中に額からぶつかった。
「ってぇなおい! 急に立ち止まんなよ、つか離れて歩けって……」
「高尾」
 緑間は高尾の方を向いていた。
「高尾、その、夕焼けがきれいなのだよ」
 高尾は呆気に取られて緑間の顔をまじまじと眺めた。緑間の大きな影の向こうに、橙色の空が広がっている。熱のない真っ赤な火の玉が、手当たり次第に辺りを染めながら沈んでいく。緑間の柔らかい髪の毛も、たっぷりと夕焼けを含んで不思議な色に見える。夕日に透かされた白い頬が、ほんのりと温かく色づいている。
 気まずそうに、緑間は何度か瞬きをした。長いまつげがそれに合わせて重たげに上下した。
「……真ちゃんが邪魔で見えねーよ」
「そうか……ならば、並んで歩けばいい」
 高尾は下を向いて肩を震わせた。
「た、高尾?」
 緑間がぴんと伸びた背中を折り曲げて、高尾を覗き込む気配がする。高尾は俯いたまま、肩で緑間に体当たりした。
「痛い」
「俺も痛いわ馬鹿」
 緑間は何も言わず、ふんと鼻を鳴らして再び背筋を伸ばした。視界が開ける。橙色の空が、いっぺんに目に飛び込んでくる。眩しくないのに、高尾は眩しげに目を細めた。
「きれーだね、真ちゃん」
「そうだな」
 オレンジの視界に、すっと白い手が差し出された。
「帰るぞ、高尾」
 しょうがねーなと笑って、その手を取る。
「真ちゃん、夕ご飯何食べたい?」
「……ボルシチ」
「オッケ。んじゃ、スーパー寄って帰ろうぜ。真ちゃんの好きな、甘く炊いたボルシチ作ってやるよ。それから、ソファでまったりして、キスしたりして、それから……」

緑高深夜の真剣創作60分一本勝負(お題:夕焼け)


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