オー・ハッピー・デー
帰り道、高尾は随分と不機嫌で、宮地は何かあったっけと首を傾げた。部室で練習着に着替えている時は普通だったはずだ。いつも通り緑間と一緒にやってきて、やってくるなり先週発売されたゲームの話で二年生と盛り上がっていたから、うっせーぞとっとと着替えろとどやしたが、その時もへらへらと「サーセン」なんて笑って謝っていたのだ。部活中も、別に普通だったと思う。パスは切れていたし、シュート練もほとんど外さなかったし、連携もばっちり決まっていたし、むしろいつもより機嫌がよかったぐらいだ。
多分、と宮地は考える。多分、機嫌が悪くなったのは、部活が終わって大坪や木村たちに先に帰っていてくれと言った辺りからだ。
「お疲れ。俺今日もちょっと残ってやってくから、鍵預かるわ」
「なんだ宮地、今日ぐらい早く帰ればいいのに」
「家族の人、ケーキでも用意して待ってるんじゃねーの? 裕也もさっさと帰っただろ」
「バッカ。この歳になって、家族全員でケーキ食べて誕生日おめでとーなんてやらねーよ。恥ずいだろ。ケーキは俺の分だけカットして置いてくれてるはずだから大丈夫」
「やっぱりケーキあるんじゃないか」
そんな宮地たちのやり取りを、高尾は少し離れたところで目を丸くして聞いていた。そして、大坪たちが帰った後に、ぶすっとした顔で宮地に聞いてきたのだ。
「宮地さん、今日誕生日なんスか」
「? そうだけど」
「俺、知らなかった」
「いや、わざわざ吹聴して回るもんでもねーだろ」
「……そりゃそうスけど」
高尾は不服そうな顔のまま、ふいと背中を向けて一人シュート練に戻ってしまった。
(なんだ? あいつ)
「おめでとうございます」の一言もないのかよ、と思わないでもなかったが、自分のシュートフォームの確認に集中するうちに、そんなことは意識の外に追いやられてしまっていた。
それから二人で黙々と居残り練習をし(今日緑間はおは朝の占いが何たらとかで、部活が終わると早々に帰っていた)、宮地が「俺帰るけど」と声を掛けると、「俺も帰ります」と言って片づけはじめたので、なんとなく二人で一緒に部室に戻って、互いが着替え終わるのを待って、二人でこうして肩を並べて帰っているわけなのだが。
(さっきから一言もしゃべらねえんだけど)
高尾は自分のつま先をじっと見つめ、大股の宮地に遅れないよう早足でついてきている。こうして二人で帰るのは珍しいことだ。大体高尾は緑間と一緒だし、それぞれ居残り練習をしていても、一緒に帰ることはほとんどなかった。
宮地はちらりと横目で俯き加減の高尾のつむじを見て、落ち着かない気分で頭を掻いた。日頃口から生まれてきたみたいに放っておいてもしゃべり続ける相手だけに、ふいに訪れた沈黙がいささか居心地悪い。こちらから何か話題を振ろうかとも思ったが、彼が黙ってしまうと、何を話せばいいのかよくわからなかった。
まだ人通りの多い繁華街を抜け、ぼちぼちシャッターの下りはじめた商店街を抜ける。すれ違う人の数が減るにつれ、少しずつ寒さが身に染みてくるようだった。そろそろ上着を用意しねぇとな。学ランの肩を竦めて宮地はそう思った。次の曲がり角で、宮地は右に曲がる。高尾はまっすぐ行くはずだ。この妙な居心地の悪さから抜け出せると思うと、宮地は少し明るい気持ちになって、高尾に「じゃあ」と言いかけた。
「宮地さん」
高尾の声が、暗い路地にぽつりと落ちた。
「あ、ああ、何だ?」
宮地は立ち止まった高尾を振り返った。LEDの街灯の白い光が眩しくて、宮地は少し目を細めた。
「……俺ね、宮地さんの誕生日祝いたかったんです」
「……そんなの、今からでも『おめでとう』って言ってくれたら、それで十分だよ」
「違うんです。もっとちゃんと、プレゼントとか用意して、朝から宮地さんの教室に突撃かまして、昼間食堂で会った時とか、移動教室ですれ違った時とか、宮地さんが体育で運動場にいる時とか、放課後部室で会った時とか、いっぱいいっぱいでっかい声でお祝いしたかった」
俯いた高尾の表情はよく見えないが、宮地は泣いているのかと思って高尾の肩に手を掛けた。「高尾?」
「だって、俺、今までの宮地さんの誕生日一回も祝えたことなくて、来年もきっと祝うことはできなくて、今日が俺にとって最初で最後の宮地さんの誕生日だったんですよ? なんで、もっと早くに言ってくれなかったんですか」
宮地を睨むように見上げた高尾は泣いてはいなかったが、理不尽なわがままを突きつける子どものように、その表情は頑なに強張っていて、悲痛ですらあり、宮地はその必死さに少したじろいだ。
「お前、そんなに俺の誕生日祝いたかったの?」
「悪いですか」
「いや、悪かねぇけど……つか……ハハ、お前俺のこと好きなぁ」
「好きですよ」
「え?」
照れ臭いのを混ぜ返すつもりで叩いた軽口は、意外にも真摯な響きの言葉で返された。
「……好きです」
「……マジか」
「悪いですか」
高尾の口が尖った。甚だ不本意そうで、そんな顔で言う言葉かと、宮地はおかしくなって噴き出した。
「なんで笑うんですか」
「いや、悪ぃ悪ぃ」
「ったく、言うつもりなんてなかったのに」
高尾の頬が赤い。そのくせ、今まで見たことがないくらい不機嫌な表情なのがますますおかしくて、宮地は肩を震わせて笑った。
「もういい、帰る。宮地さんもとっとと帰ってご家族に祝われてきてください」
高尾はぷいと踵を返して歩き出した。その背中に呼びかける。「高尾!」
高尾は振り向かないまま立ち止まった。
「なあ高尾、じゃあさ、来年、また祝ってくれよ」
「……いいんですか?」
「ああ。来年も、再来年も、その先だってずっと祝ってくれればいいだろう?」
「……マジで、いいんですか?」
高尾はゆっくりと振り返った。今度こそ泣きそうな顔になっている。
「忘れてたら木村の軽トラで轢きに行くから」
「……っ、はい!」
高尾はしばらくへへへと笑いながら宮地の顔を見ていたが、やがてばっと背中を向けて走り出し、そして思い出したように振り返って、大声で叫んだ。
「宮地さん、誕生日、おめでとうございます!」
高尾の走り去った道を、宮地はしばらくにやにやしながら眺めていた。通りすがりのおばさんに不審な顔で二度見されたが、知ったことかと思った。だって今日は誕生日で、たった今、最大級のサプライズプレゼントをもらったのだ。どんなに緩んだ表情をしていたって、通りすがりのおばさんには関係のないことだ。
宮地はゆっくりと、家に向かって歩き出した。家に帰るまでに、このにやにやと緩みきった顔をどうにかしないといけない。弟にはバレるかもしれないが、その時はその時だ。むしろ彼には何回でもこの話を聞いてもらいたいと思う。きっとうんざりした顔をするだろうが、誕生日だから大目に見てもらおう。そうだ、今日のケーキは何かな。きっと裕也のチョイスだから、彼の好きな生クリームたっぷりの苺のケーキかもしれない。本当はチョコレートケーキがよかったが、まあ何だっていい。だって今日は、最高に幸せな誕生日だ。
2015/11/11
back