お年玉

「正月、俺の実家に一緒に来る?」
 宮地さんからそう聞かれた時、俺は正直少し迷った。俺と宮地さんが付き合うようになって何年か経つ。宮地さんはああいう、物事をはっきり決着つけないと気の済まない性質なので、この先ずっと俺と共にいることを決めてすぐ、家族にカミングアウトした。お父さんもお母さんも割とリベラルな物の考え方をする人だったので、特に怒られも反対もされなかった。弟の裕也先輩は、部活の後輩と兄がデキていたという事実に、納得以前にどうにも複雑な顔をしていたのだけれども。だが、反対されなかったということと大手を振って祝福してもらえたかということはまるで別問題で、俺自身の後ろめたさから、彼らの家族と顔を合わせることは意識的にか無意識にか避けてきたように思う。裕也先輩が結婚した時にも、結婚して一年後に男の子を授かった時にも、やはり俺はなんだかんだと理由を探して行かなかった。宮地さんはそういう時に咎めたことはなかったけれど、決まって苦い薬草を飲み込んだような顔で溜息を吐き、俺に背を向けて一人で出ていくのだった。
「俺の実家に一緒に来る?」
 今年が特別に何か記念の年というわけではない。宮地さんの両親の還暦はもう少し先だし、裕也先輩の息子は今度の春で幼稚園の二年目を迎える。誰かが病気をしたわけでもなく、おじいさんとおばあさんもまだ息災だ。それなのに、さりげなさを装って俺に尋ねる宮地さんの声には、どこか有無を言わせぬ響きがあった。「来なけりゃ轢くぞ」最近ではめっきり出なくなった彼の物騒な口癖さえ、聞こえてきそうな口ぶりだった。
「……わかりました」
 だから俺は、迷いながらもイエスの答えしか言うことができなかったのだ。身に染み込んだ、先輩後輩の性として。


 軒先には簡単なしめ飾り。門松は置いていない。家の前には裕也先輩の青のセダンが停まっていて、家族三人で実家に帰ってきていると知れた。宮地先輩は俺の緊張を知ってか知らずか、さっさと先に立ってガラリと玄関の扉を開ける。
「たーだいまー」
「おかえりー」
 家の奥からお母さんの明るい声がして、すぐにパタパタと玄関に迎えにやってきた。そして、俺の顔を見て立ち止まる。
「あ、ど、どうも。ご無沙汰しています」
 俺は早くも引き返したい気持ちでいっぱいになった。家族水入らずの正月に、やはり俺は来るべきではなかったのか? ぎこちなく笑った俺の視界に大きく両手を広げたお母さんがいっぱいに映り、次の瞬間、俺は彼女の腕の中に抱きしめられていた。
「いらっしゃい、よく来たわね、高尾くん」
 パッと手を離すと、彼女は呆けた俺の腕を取って「上がって」と急かした。
 居間には、宮地さんの家族がみんな集まっていた。みんなが俺を笑顔で出迎えてくれた。お父さんも、お母さんも、おばあさんも、おじいさんも、裕也先輩の奥さんも。
「遅ぇよ」
 しかめ面で裕也先輩が言った。彼の膝の上には、きょとんとした顔の少年が座っている。
「すみません」
 頭を下げる俺を、お父さんが笑って隣に座らせてくれた。
「待ってたんだよ」
 宮地さんによく似た甘い顔で、目尻に皺を寄せて微笑んでいる。
「明けましておめでとう」
 みんな、待ってくれていたのだ。思わず瞳を揺らした俺の頭を、宮地さんの大きな手がぐちゃぐちゃと掻き混ぜた。
「悪ぃな、遅くなって」
「清志おじちゃん、その人誰ー?」
 甥っこが裕也先輩の膝の上から宮地さんの肩に移動して尋ねる。
「おじちゃんって呼ぶなっつってんだろ。……俺の、大事な人だよ。つまり、お前の父さんにとっての、母さんみたいな人だよ」
 少年の大きく曇りのない瞳が、俺を宮地さんの肩越しに興味津々といったふうに見つめた。
「はじめまして」
「……はじめまして」
 少し人見知りをする彼に、そうだ、と俺は鞄に手を入れた。
「お年玉、持ってきたんだ」
 会うかどうかわからなかったが、念のために鞄に入れてきたお年玉。ポチ袋に入ったそれをそっと差し出すと、彼は宮地さんに促されるようにおずおずと俺の前に出てきて受け取った。
「ありがとう、おじちゃん」
「おじちゃんじゃねーよ」
 すかさず宮地さんが後ろから頭に軽くチョップを入れるが、少年はキャッキャと笑った。
「だって、清志おじちゃんの大事な人なら俺のおじちゃんじゃーん!」
 どっと家族が笑う。宮地さんは顔を赤くして答えに詰まっている。俺も笑った。なんだか胸がいっぱいだ。
「じゃあ今度は私たちから」
 おばあさんが、割烹着のポケットから四つのポチ袋を出してきた。
「はい、おばあちゃんとおじいちゃんから、孫とひ孫にお年玉」
「もういいって、毎年言ってるのに」
 宮地さんと裕也先輩は渋い顔だが、「孫はいくつになっても孫だから」と半ば押し付けるようにして渡されている。
「はい、高尾くんも」
 おばあさんの温かい手が俺の手を取り、小さなポチ袋を握らせた。
「え、けど、俺は……」
「毎年、用意していたのよ」
 俺の視界はみるみる曇った。俺の手を握る皺と染みだらけのおばあさんの手に、ぽたりぽたりとしずくが落ちる。凝り固まって、踏み出せずにいたのは俺の方だったのだ。彼らはみんな、俺を迎える準備をしてくれていたのに。ポチ袋に書かれた「高尾くんへ」の文字が、涙に濡れて滲んだ。
「おじちゃん何で泣いてるの?」
「だから、おじちゃんって呼ぶなって言ってるだろ」
 後ろで聞こえる宮地さんの声も、じんわりと滲んだ涙声だった。

深夜の宮高真剣創作60分一本勝負


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