心音
高尾はぱっちりと目を開けた。いつもより高いところに広い板の天井が見えて、ああそうか、今は合宿だったかと思い出した。
(何時だ……?)
手探りで枕元のスマートフォンを掴み、電源ボタンを押すと、闇に慣れた瞳を白い光が鋭く刺して、高尾はぎゅっと目を眇めた。
(って、まだ二時じゃん)
ハードな練習の後、倒れるように布団に潜り込んでから、まだ四時間も経っていない。体の疲労感はまだ完全には抜けきっていなくて、このまま朝まで気を失うように寝ていたかったのに、高尾の目はすっかり冴えてしまった。
一軍の一年生部員に割り当てられた部屋の、そこかしこから大きないびきが聞こえてくる。高尾のように目を覚ましている者は一人もいないようだった。高尾は豆球だけ灯された黄色い光を見つめながら、ひっそりと意識を澄ました。左隣の地鳴りみたいなのが松本、途切れ途切れに聞こえてくるのは田中、あっちの一際でかいのが山田で、鼻がピーピー鳴っているのが吉田。いびきにもそれぞれ個性があって、どれが誰のものだか案外わかるものだと、高尾は面白くなって忍び笑いを漏らした。
高尾はごろんと寝返りを打ち、右隣の緑間を見た。彼は当然のように部屋の隅の布団を占有し、当然のように高尾に自分の隣を指し示した。慣れない人間が近くにいると眠れないのか、だとすると、自分は緑間に幾分気を許されているのか。警戒心の強い動物を手懐けているようで少し気分がいい。
彼は、静かな寝息を立てていた。ナイトキャップをかぶり、真上を向いた直立不動の姿勢は、高尾が寝る前に見たものと1ミリも変わっていないようだった。
(どんだけ寝相いいんだよ)
スー……スー……
静かで深い寝息と共に、腹の上で組まれた両手が上下する。よく眠っているみたいだ。まっすぐに伸びた鼻梁が、ちりちりとした暗闇に白く浮かび上がっている。
(つか、まつげなっが)
高尾は匍匐前進の要領で布団からにじり出て、緑間の方へと近寄った。頬杖をついて、まじまじと彼の横顔を眺める。同い年の男子高校生とは思えない、にきび一つないきめ細やかな肌。伏せられた長いまつげ。少し縦長の鼻の穴と、意外と大きな口。こんなに近くで緑間の顔を観察するのは初めてだが、やはり憎たらしいほど美しいと思う。
「しーんちゃん」
緑間の顔を眺めるのにも飽きてきて小声で呼びかけてみるが、彼の寝息は乱れない。
「緑間ー」
肉付きの薄い頬をつつくと、彼は少し眉間にしわを寄せ、「む」とむずがるような声を出した。
「真ちゃん、起きろよ」
高尾はさらに緑間の頬をつついたが、彼はもう素知らぬ顔で眠りの深いところへ戻ってしまった。
「真ちゃん、真ちゃん、しーんちゃん」
その形のいい鼻を摘まんでみる。
「なぁ真ちゃん起きて。一人で起きてんのつまんねぇよ」
「んん~」
緑間は盛大に顔を顰め、やがてうっすらと目を開けた。
「あ、起きた。しんちゃ」
「高尾、寝ろ」
腕を掴まれたかと思うと、強く引き寄せられて高尾は緑間の胸に鼻から突っ込んだ。
「ぶっ、いってぇなおい」
文句を言おうと起き上がりかけたが、緑間の左手が高尾の背中にぽんと乗せられて、勢いを削がれてしまった。彼はむにゃむにゃと訳のわからない言葉を二言三言発して、そのまま再び深い寝息を立てはじめる。
(おいおいマジかよ)
緑間に抱き込まれるような格好のまま、高尾は動けない。顎の下の、緑間の体温が温かい。
(困ったな)
そう思いながら、高尾はふっと息を吐いて、緑間の胸に体を預けた。上質なパジャマの生地が、頬を撫でるのが心地いい。トクン、トクン。ゆっくりと規則正しい彼の心音を聞くうちに、高尾もいつの間にか、深い眠りへと落ちていった。
翌朝、先に起きた部員たちのからかいのネタになったことは言うまでもない。
緑高深夜の真剣創作60分一本勝負(お題:ぐっすり)
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