混沌の街 -1-

「ドタチン、たまには外の図書館に行かない」
 六月の湿気を吸い取った教室は質量を増し、終業のベルに解き放たれた生徒たちのざわめきも、油染んだ床に落ちて張り付いていく。
 そんな梅雨らしい湿り気とは無縁の爽やかな声は、しかし教室で浮くこともなく、巧妙に門田の耳にだけ届けられた。語尾をほとんど上げない疑問系は、門田が断るはずもないと確信しているようで、すんなり頷くのも癪だった。
 たっぷり時間を掛けて顔を上げると、想像通り、反応を楽しむような笑みを張り付かせた臨也が見下ろしていた。
「……」
 断りの言葉を述べようと口を開いたが、漏れたのは諦めのため息だった。どのような言葉を並べたところで、結局はこの男に付き合わされることになるのだ。
「別に学校の図書室でもいいじゃねえか。あとドタチンはやめろ」
 鞄を手に立ち上がりながら言うと、臨也は嬉しそうに笑った。
「違うよぉ、学校の図書室だったらいつもと同じじゃん。マンネリ化を防ぐんだよ、気分転換だよ」
 結局、門田は肯定の言葉を一言も吐かぬまま、軽やかに踵を返した臨也について教室を出た。

 外は雨こそ降っていなかったが、重い灰色の空が街にのしかかり、門田を陰鬱とした気分にさせた。時折すれ違う人は皆、空が目に入らないかのように振る舞っていたが、灰色の圧力に辟易としているのは瞭然だった。
 こんな日は寄り道せずにさっさと帰って、自室のベッドに座り込んで読みかけの本を開くのが正しい過ごし方だ。そうだ、何も彼について図書館へ行く必要などなかったのだ。
 門田は一言文句を言ってやろうと臨也の方を向き、どきりとして口を噤んだ。
 臨也の白い顔はいっそう白く紙のようで、必要以上にぺらぺらと言葉を紡ぐ薄い唇は、今まで開いたことなどないかのように頑なに閉じられている。いつも楽しいことを見つけては、見とれるほどの煌めきを見せる赤茶色の虹彩さえ、曇り空を映してか、冴えない鈍色に曇っている。
 門田は、そう言えば臨也が教室を出てから一言も発していないことに気が付いた。体調でも悪いのか、どこか痛いのか、辛いのか。そんな言葉がのど元まで出かかったが、今声を掛けると、その空気の震えだけで消えてしまいそうに希薄なものに思えて、結局それもできずにまた前を向いた。

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