白い部屋 -2-
けたたましく目覚まし時計が鳴った。高尾は手探りで音源を探し出し、殴るようにして黙らせた。離れないまぶたはそのままに、とりあえず上半身を布団から引き剥がす。何か夢を見ていたような気がするが、思い出そうとするほどに、白く濁って意識の底に沈んでいった。
トイレに行き、顔を洗ってやっと少し目が覚める。
「おはよぉ~」
弁当の支度をする母親と、新聞を読む父親に挨拶をしながら、朝食の席に着く。テレビのチャンネルはおは朝に合わす。おは朝は嫌いだが、人事は尽くさねばならない。
「今日のかに座は三位!心穏やかな一日になるでしょう!ラッキーアイテムは、図書の本!」
身支度を済ませて家を出る頃、妹が起きてくる。眠そうにぽってりとした頬で見送る妹の寝癖を撫でてやり、元気よく「行ってきます!」を叫ぶ。
今日は10月らしい秋晴れだ。自転車に飛び乗り、ぐいぐいペダルを踏む。空が高い。爽やかな朝の風が、金木犀の香りを運んできた。
二年生になって、授業は少し高度になった。高尾は勉強が苦手ではないが、伝統ある進学校である故、油断は禁物だ。シャーペンをクルクル回しながら数列の話を聞いていると、後ろの席の男子がつんと背中をつつき、メモを回してきた。
『やっべ、オレ次当たるけどわかんねぇ。おしえて!』
しょーがねーなーと軽く片眉を上げ、メモに解法を書いてさりげなく後ろに返す。
『ジュースおごれよ!』
昼休みには、クラスの男子数人と連れ立って食堂へ行く。弁当は3限の終わりに半分食べてしまっているので、残り半分と、軽くうどんを一杯食べようという魂胆だ。途中でバスケ部の一年生とすれ違い、うーす、また放課後な。と軽く手を上げる。
揺るぎない強さを誇った大坪や宮地や木村の代が卒業した今も、秀徳高校バスケ部は東京東の王者の地位を守っている。現三年のレギュラー陣に加え、高尾ら二年も毎日死に物狂いで練習に明け暮れ、去年作り上げたインサイドにもアウトサイドにも隙のないチームスタイルを、更に強固なものへとしていった。一年生にも将来有望な選手が何人か入り、レギュラー争いはますます熾烈を極めている。
高尾は一年の頃と変わらず正PGを務め、チームの勝利に貢献している。今日も鷹の目は絶好調でコートを見渡し、どんな小さな隙も見逃すことはない。後ろ手に放った鋭いパスが、小気味のいい音を立てシューターの手に収まった。3ポイントラインから適確にリリースされたボールは、パシッと渇いた音を立て、ネットを潜った。
「ナイッシュ」
高尾が上げた右手に、シューターは軽く拳を当てる。
「ナイスパス!」
いつもは部活終了後もしばらく残って自主練をするのだが、今日は「あっしたー!」の挨拶が済むと同時に更衣室へ駆け戻り、汗を拭くのもそこそこに、閉館間際の図書室へ駆け込んだ。司書教諭は、高尾の学年の国語を教えているので顔見知りだ。彼女は、図書室で見るには珍しい顔に、少し目を丸くした。
「どうしたの?もう閉館よ」
「今日のラッキーアイテムなんです」
高尾がにっと笑ってそう言うと、ああ、と納得したように微笑んだ。
「どの本がいいかしら」
彼、結構女性作家の本が好きなのよね。そんなことを言いながら、彼女は高尾を日本の小説が並ぶ棚へ連れて行った。彼がよく読んでいたという作家の本の中から、高尾は一冊抜き取った。
「いい選択よ」
貸出処理を済ませると、彼女は本の表紙を愛しそうに撫でて高尾に渡した。深いブルーの表紙は少し擦り切れていたが、控えめに描かれた黄色い犬と星の絵は、少しも損なわれることなくそこに収まっている。小さく空を見上げた黄色い犬は、今この瞬間自分が選ばれるのを知っていたかのように落ち着いて、さあ、行きましょうと前足を差し出した。
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